このタイトルを見てすごく共感してくれる人も少なくないのではないだろうか。
何を隠そう私も社会人になり4年目を迎えているが、ふとした時に「あれ?友達めっちゃ減ったな」という感覚に陥る時がある。休日を遊ぶメンバーが固定化されていたり、SNSを見ていると、昔よく遊んでいたのにもう連絡すら何年もとってないなんていう友達がたくさんいる。
大学や高校の卒業式では「また遊ぼうな!」なんて言いながら笑顔でグータッチしていたにも関わらず、それが現実となることは橋本環奈と結婚するぐらいのとんでもない奇跡が起きない限り、実現しないのだと思うとすごく寂しい感情になる。
もし現役大学生とかがこの記事を読んでくれているのなら、「こいつは何を言っているんだ、連絡するだけじゃないか」と思っていることだろう。
もしそんなことを思っているのなら、体力的にも精神的にも丸く衰え始めているサラリーマンを舐めてもらっては困る。
仮に連絡をしても何を話したらいいのかわからないのだ。
「久々!元気?」仮にこんなメッセージを送ったとしても、着地をどうしたらいいのかがわからない。
「飲みにいけばいいじゃないか!」確かにおっしゃる通り。
ただサラリーマン4年目にもなると、飲みに行って何を話したらいいのかがわからなくなる。
それ以前に飲みにいく行為自体がめんどくさくなる。
もっというと「久々!元気?」すら送ること自体がめんどくさく、送ることに意味が果たしてあるのかを考え始める始末である。
(今書いていて自分のメンタル状況が少し不安になりつつあるが、この気持ちを割ってくれる人が1人でもいることを祈っている。)
とにかく、社会人になると過去の「よっ友」なんて存在は完全にSNS上で現れるだけの存在になる。
ある意味芸能人みたいなもんだ。
多少飲みに行ったり遊んでいたような友達も、社会人になるとばったり会わなくなり、連絡すらとってないなんて友達は山ほどいる。
すごく大回りしたが、なぜこんな現象が起きるのかを考察していきたいと思う。
なぜ笑顔で「また遊ぼうな!」とグータッチしていた友人と会わなくなったのか
これは社会人の厳しさを少し舐めていたからに違いない。
一般的なサラリーマンであれば、週5日を最低でも8時程度を会社に費やす。
通勤があれば前後1時間ぐらい取られる。その上、入社当初は会社の付き合いで飲み会に行ったりと自分の時間はほとんど取れないに近しい。仮に飲み会を断っても社会の荒波に揉まれ始めたひよっこが、アクティブなアフター5を送れるはずもなく、家に帰ってダラダラとYouTubeをみるのがお決まりだろう。アフター5に飲みにいくとなっても、会社の仲良い同僚か職場の近くで働いている旧友など、限られた範囲内での友好関係が繰り広げられるだけになる。
ここまで聞くと、「また遊ぼうな!」とグータッチをしていた友人と会わなくなるのもお分かりだろう。
自分だけが毎日仕事で限られている時間の中で遊びや趣味をしているのなら、状況は違うかもしれない。自分と同じ状況がほとんどの友人も同様に繰り広げられているので、会わなくなるは必然的なのだ。
要するに、社会人になると限られた時間の中で、自ずと取捨選択を迫られ、無意識に友人の取捨選択も行わられた結果、友人が減るということになる。
友人が減る現実を踏まえどう考えるのか
個人的にはすごく寂しいなと思うのが正直なところだ。
そもそも何年も会おうとならない時点でそこまでの友情だったという捉え方もできるが、
それでも過去に何度か遊んだ経験があったり、話した内容を覚えていたりと思い出自体は残っている。
ふとした瞬間に、そういや昔〇〇とよくこんなことして遊んでたなとか、こんな話していたなみたいな思い出を思い返したときにすごく寂しくなる時がある。
みんな大人になるにつれ、自分が自由に使える時間はどんどんと無くなっていく。
友人と疎遠になることは、自分も友人も前に進んでいる証拠であり、新たな人生を進んでいる証拠である。
何かを得るには何を失う。
まさにこの世の中はトレードオフであり、過去の友人と会う時間がなくなることで、
新たな友人との出会いや、家族との時間、これまでとは違った出会いや経験を得られるための
大きな犠牲なんだと解釈することで、この寂しさを乗り越えていこうと思う。
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